額装サイズ:横70.5cm×縦36.5cm×厚み1.5cm
幽霊之図 大高家
日本がオカルトブームに入ろうとしていた1972年のこと。
とある児童書に載せられた一枚の絵が、少年少女たちに強烈なインパクトを残した。
「昭和27年、大高博士をおそったほんものの亡霊」
ちぢれた髪に、大きく見開かれた目。耳まで裂けた口からは数本の歯がのぞいている。そして首にあいた穴から、大量の血を垂れ流していて……。
まさに異形という他ないこのイラストを掲載したのは、『わたしは幽霊を見た』(著:村松定孝、講談社)。当該ページをなにげなく開いた子どもたちの恐怖たるや凄まじいものだったはずだ。実際、五十年以上が経過した今もなお「伝説のトラウマ絵」「最も恐ろしい幽霊画」として語り継がれている。
これは青森県の高名な医師である大高興博士が、自らの体験をもとに描いたスケッチだ。
1952年8月20日、若き大高博士は恩師や友人らとともに下北半島に遊びに来ていた。宿泊先は、下北郡大湊町(現むつ市)にあった国立病院。戦時中は海軍の施設だった建物らしく、士官室として使われていた部屋のベッドに寝かされたそうだ。
そして午前三時半ごろ、なにものかが廊下から語りかけてくる声で目が覚めた。
「寒いんです……とても寒いんです」
不審に思いつつも上体を起こし、「それならお入りなさい」と答える大高博士。
そのとたん、ドアからこちらに向かって足音が響く。続けて博士の左脇腹あたりに、ひどく冷たいなにかが飛び込んできた。
「こらっ!」
慌てて叫んだ博士が左脇を見下ろす。
そこにいたものこそが……。
図に描かれた亡霊そのものだったのである。
日本オカルト史に残る当該作品は現在、青森県弘前市のギャラリー森山に保管されており、同ギャラリーが毎年夏に開催する「ゆうれい展」にて見学可能だ。
そして今回、ギャラリー店主のご厚意により、株式会社リンクファクトリーが原画を借り受け、細密な複製画を作成することができた。
お世辞にも高級印刷とはいえない『わたしは幽霊を見た』や、大高博士の著書『津軽霊界下界』(北の街出版、1974年)のコントラスト強めなモノクロ図版とは、やはり細部の明瞭さがまったく異なる。
自身の恐怖体験をなんとか表現するため、鉛筆デッサンにて再現を試みた大高博士。彼が描いた「ほんものの亡霊」の限りなく原画に近い質感と迫力を、ぜひとも味わってもらいたい。
解説/吉田 悠軌(怪談・オカルト研究家)